コンサートの始まりは定番の「風」。ここで既に号泣者がちらほら。
「小舟」「涙」と3曲続けて、子育てソングを歌うと、1列目、2列目に座っていたお母さんたちは次々とハンカチを取り出して、洟をすすりだした・・・。
私は号泣する母たちを見て、うーっと目頭が熱くなる。大体いつも涙する人の姿を見て、もらい泣きをする。「つらいんだな。みんな」。
この日は、何かふっきっれたような、真紀節がいつにも増して絶好調。「私なんて偉そうなことをいえるような母じゃないんです。うちは3人とも次から次へといろいろ問題あって・・・。今日も一発かまして、家を出てきました・・・」と赤裸々に本音を交える真紀トークに30代の若き母達はぐいぐいぐいっと引き寄せられていった。
いつも子ども向けコンサートでやる、「きょだいなきょだいな」という手作りの大型絵本の歌がたりを間に入れて、後半は「夫と妻」の歌を中心に歌う。
子どもを間にした夫婦関係の真髄を突く「愛ってなあに」はイタイ歌だ。聞いていてつらくなる・・・人は多いかもしれない。ちょっと場内がシーンと静まり返った気がした。
子育てがつらい、と感じている人の多くは、そう、たいていの場合、「夫婦」の関係が危ういケースが多い。「孤育て」になっていることが多く、自分だけの胸のうちにいっぱい何かを抱えていて誰にも言えずにいる場合が多い。
もろもろ、いまだ大変なことが続く真紀さんは「まったく修行僧じゃないんだから・・・もう、なんでこう次から次へと大変なことが続くのよ、と思ってたんですけどね。でもある日、そうだ、修行僧じゃないと思ってるから、つらいんであって、自分は修行僧だと思えばいいんだ。そうだ、自分は修行僧だと悟ったんです。そしたら、なんかパーッと目の前が開けてきました。うん、私は修行僧だと」
修行僧だと、連呼する木村真紀と、最近髪を切りすぎて自称「刈り上げ板前」だった木村真紀が、私の頭の中で妙な合致をして、噴き出してしまった。会場も爆笑の渦で、ちょっとクールに聞いていた人たちも、「修行僧だ」と連呼する木村真紀に、心ほどかずにはいられなかったようで、会場の木村真紀を包む空気がさらにやわらかくなったような気がした。
この日は、真紀さんのCDもよく売れた。私も東京からえっほら重たいCDを抱えて行った甲斐があった。目を真っ赤にした母達が次から次へとCDを手にして、真紀さんのサイン待ちの列に並んでくれた。「今、つらい時期なんです・・・」と今にも語りだしたそうな人もちらほら。
コンサート終了後、幼稚園の園長先生数人の方とゆっくり話すことが出来た。保育者、教育者の方々にとっても大変な時代なのだとつくづく感じた。ある園長先生が言っていた「今はお母さんたちが、子どもではなく、私を見て。私をほめて。私の話を聞いて、という時代です」という言葉が印象的だった。
誰もが「自己肯定感」を強く求めて彷徨う時代・・・なのだね。
うん、それにしても、修行僧木村真紀・・・には笑わされたなあ。修行僧よ、一緒にがんばろうね!
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この映画の完成試写会が9月26日、有楽町の朝日ホールで行われ、真紀さんと二人で行ってきた。招待されたのは、この映画の劇中挿入歌を真紀さんが歌っているから。
「泣く子はオオアゴ食べにくる」と、ウマソウが決闘するシーンの背景で流れてくる歌だ。なかなか印象的ないい場面で、真紀さんの優しげな声が響いてくる。見に行く人は是非、「泣く子はオオアゴ食べにくる」と歌われる劇中歌に注目してみて欲しい。このメロディは3パターンくらいあって、3者3様の歌声でそれぞれに味があると思う。
声で出演した、原田知世さん、加藤清史郎くん、別所哲也さんが舞台挨拶に登場していた。それにナントカ恐竜も特別出演で登場し、試写会に来ていた子どもが大泣きしてしまう一場面もあった。
別所君といえば、実は大学のESSの1年後輩。しかも、同じ田園調布ホームというところに属しており、別所君1年、私2年の時には、フレッシュマン・ドラマコンテストで、共演(?)している。その頃は、私のほうが先輩だったので、初めての彼に演技の手ほどきをしてあげた・・・のだが・・・、そういうことは有名になってしまったほうは覚えていないが、その周囲の者は皆、よーく覚えているものだ、概して。
大学1年の頃は、私自身も「12人の怒れる男」のキャストで舞台に立ったりもした。そのときの監督は俳優志望だったけど、某TBSに行き、ドラマを作るのかと思いきや、「さんまの・・・・」等々、超人気バラエティ番組のプロデューサーとして名をはせていた。あれらの番組のおもしろ素人を上手に使う演出手法は、きっと彼の得意技だろうな、と思う。学生時代、私もよく”おもしろ素人”並に、いじられたものだった。
同じキャスト仲間には長森雅人君という長身のイケメンがいた。性格的に、とても真面目で物静かな人だった。経済学部の彼はエリートサラリーマンの道を歩むのかと思いきや、仲代達也さんの無名塾に入り、今は俳優として活躍している。彼には、もっともっと前に出てきて欲しいなと思う。
学生時代の知り合いの名前を、テレビや映画のエンド・ロールで見つけると、やっぱりうれしい。随分と年月が経ってしまったけど、一緒に何かに一生懸命取り組んだ時間というのは、鮮明な記憶として残っていて、同じように頑張っていた自分がそこに見えるから、勇気をもらえるのかな、とも思う。
]]>インプレオ自慢のアンティークルーム、インプレオ・イーストにて「木村真紀のサロン・コンサート」を企画、
昼の部(11時から12時半)、夜の部(19時から20時半)の2回に分けて開催した。
昼の部にはファンクラブのメンバーや、子育て中の女性達が多く参加してくれ、
涙、涙のあらしで、号泣する姿に、参加していた3名の男性達はちょっと戸惑ったかも・・・。
夜の部には、仕事帰りの男性もちらほら、ちょっぴり大人のムードで、
いつもの子育て談義からはちょっと離れて、片手にワインでもあったら、という雰囲気が漂った。
いづれも用意した17席はすべて埋まって、ちょうどよいサロンコンサートが出来上がった。
もともとは、5月に結成したファンクラブのメンバー向けに何か、
スペシャル・イベントをプレゼントしたいと思ったのがきっかけ。
木村真紀のコンサートでは、いつも付きものなのが、
「子連れ可ですか?」という問い合わせ。
今回は、敢えて心を鬼にして、「子連れ不可」にした。
そのココロは。「いつでもどこでも子連れが許されることが決していいことではない」と思うからだ。
横浜の緑区あたりから、富ヶ谷までは1時間はかかる。
子連れでこの道のりは結構きつい。
コンサート会場に着くころには、母子共々、くたくただろう。
せっかく渋谷あたりに行くのだから少しはおめかししようと、母は思うだろう。
自分の支度に、化粧に時間もとられるのに、子どものおでかけの準備にも時間がとられる。
ぐずったときのおやつや飲みもの、おもちゃ・・・。
そんなこんなで家を出るまでにクタクタになることも少なくない。
何よりも不幸なのは、子どもだ。
子ども中心のコンサートではないからせっかく来たのにそんなに楽しくない時間が待っているのだ。それなのに、静かにしてなさい、と言われ続ける・・・。帰りは帰りでちょうど眠くなる時間に、がんばって歩いて電車を乗り継がなきゃいけない。
母だって、そんなに広い空間ではないことを知り、泣いたりぐずったりしたら、
その場にいられずに結局は部屋を出てしまう・・・。
それよりは、おばあちゃんなり、ベビーシッターなり、ファミリーサポートなりに、覚悟を決めてお願いし、一日自分のリフレッシュ時間と決めて、子どもから離れて過ごすことも意味があるんじゃないかな、と思ったから。
うれしいことに、前日に「母に預けられることになったので、明日行ってもいいですか」と電話をくれた会員がいた。どちらかというと、お母さんが子どもと離れられないかな、と思っていただけに、私もうれしかった。
コンサートの後日、こんな投稿をしてくれた会員がいた。
「ミントンのティーカップで紅茶をいただきながら、おいしいマカロンを食べ、真紀さんの登場を待つ。お部屋はアンティーク家具で統一されていておしゃれ!サロンコンサートって素敵ですね!
そして、ファンクラブメンバーで1列目を陣取ってしまったので、真紀さんがとても近く、今日は明るいし泣けないかも!と思っていたのに、泣ける!泣ける!今回は曲もリクエスト出来たし。自分がリクエストした歌を歌ってもらえるのって嬉しいですね!コンサートが終わり、ファンクラブメンバーでランチも出来、それも楽しいひとときでした。(一部抜粋)」と。
きっとあの日、子育て中の母達は、
家に帰って、いつもよりずっと子ども達が可愛く見えたことだろうし、
こんな自分は幸福かもしれないな、って思えたかもしれない。
時には、子どもから離れて、自分への”ご褒美タイム”を持つのも必要だよね。
]]>木村真紀の「愛ってなあに?」というCDを探しているが、奈良市内のCDショップには
見当たらず、インプレオの電話番号を教えてもらって電話をしてきたという。
海外で結婚式を挙げる娘に贈りたい、のだという。
あさってには海外に旅立つので、明日必着で送ってくれないか、という。
もちろん二つ返事でお受けしたが、奈良在住のこの年配の女性の耳に、
木村真紀の「愛ってなあに?」という曲がなぜ届いたのか、少し尋ねてみた。
「異国の地に嫁ぐ娘に贈る何かいい歌がないかと、ネットで探していた時に
木村真紀さんの『愛ってなあに?』という曲をたまたま視聴しましてね。
本当にいい曲だなあ、と思いまして。わたし、涙がでてきました。娘にも
聞かせてやりたいと思いまして、結婚式に持参しようと思っております」
とおっしゃってくれた。
実は私もこの曲は、名曲だと思っている。
最初、木村真紀を引き受けると決めたとき、この「愛ってなあに?」という
タイトルがあまりに直截的過ぎて、世の中的にどうだろう、と思っていたし、
真正面から聞くことを、どこか避けていたようなところがあった。
しかし、最近素直に木村真紀の代表曲の一つとして、売っていきたいと
強く思うようになっている。
こんな歌詞をこんなメロディに乗せて歌えることこそ、木村真紀の真骨頂
だと思うのだ。
「愛ってなあに?」の歌詞はこちらから↓
]]>記事は「月刊アメリア2009年12月号」に掲載されています。
あっちこっちに広がる私の話を上手にまとめてくださっていて、
インプレオおよびリンガルセクションの現況が端的に網羅されています。
「 アメリア・ネットワーク月刊情報誌『Amelia』掲載記事より 」(PDFファイル)
PS. 美しきアンティーク・イースト館と美女4名、なかなか写真うつりもよく・・・(うふふ)。
]]>その女性社長は、いつも気の合いそうなメンバーを選んで様々な会をセッティングしてくださるのだが、私は何かに重宝がられていて、いつもお声をかけ ていただく。出席した女性陣は、島田先生、ローカライズ翻訳会社の社長、アート関連のNPO法人代表、そして美しき精神科医。一方男性陣は、日本医師会の 関係者、経済産業省から外郭団体に出向中の方、そしてバイオベンチャー会社の社長。
なかなか面白い顔ぶれだったと思う。
私が初対面だったのは、経産省の方だけで、他のメンバーとは何度もお会いしている。女性陣は、皆私より年上だが、若々しく美しい。何より、皆、よく 喋る・・・。自分の意見をはっきり言う。様々なことが話題に上ったが、気がつくと、医師会の先生や経産省の方々がなぜか責められているように見受けられる 状況になっていた。もちろん、個人を責めているわけでもないし、誰も医師会や経産省が悪いと名指しで言っているわけではないのだが。
何でそんな風に感じたのか・・・。
たぶん、そこにいた女性たちは、皆"ひとりで立っている"から。体制に拠ることなく。自分の意思で動いているから、「私はこう思うんです・・・」 と、私を主語にして話せるんですね。体制や組織の代弁者ではないからなんですね。
何だかよくわからないけど、面白い会でした。女性陣は皆爽快な顔で「楽しかったわ」・・・と帰っていったけど、もしかしたら、男性陣は「ふー。やれ やれ。」という気分だったかもしれません。ふー。やっぱり女は強し。
]]>そんな時に、オフィスお向かいの、ツインヒルズ代々木公園イースト館にたまたま空き室がでましたので、この度、思い切って、インプレオ・イーストを オープンすることにしました。こちらの場所は、当面は主に打ち合わせ用、集会用として使用していきます。可能な限り、月一回程度、サロン・ミーティングと 称して、毎回テーマを設け、ゲストをお招きして、スタッフ一同が会する機会を作っていきたいと思っています。
インプレオ・ウエスト(本社オフィス)にはPCが20台はあるでしょうか・・・。PCリテラシーの高いスタッフたちのおかげで、なかなかにデジタル 化の進んだオフィスになったと自負しています。リンガルもクリセクも、IT時代の先端を追い続けながら業務の効率化を常に考えてくれています。しかしなが ら、インプレオ・イーストはあえて、アナログ、アンティークな雰囲気にしてみました。
時間に追われる時代だからこそ、たまには時間がゆったりと流れていた時代の雰囲気を感じてみるのもいいかなとも思うのです。イーストとウエスト、 まったく雰囲気の違う二つの場所を行き来しながら、少しばかりの気分転換を図ってくれればいいなと思います。そして、また、このインプレオレオ・イースト が、新たにクリエイティブな発想や企画を生み出す場所になっていくことを願っています。
]]>書くことは嫌いではないのです。ただ、書いていいことと書いたらまずいこと。
書きたいことと、書くべきことと。
その選別の煩わしさを考え出したら、筆が進まなくなるのです。
何も考えずに書きたいことを書けたら、どんなにか良いか。
読者がそんなにいるわけではないことも重々承知なのだけど・・・。
私は書き出したら止まらなくなるタイプ。
「インプレオ・ストーリー」 も「K子ちゃんとわたし」も一気 に書き上げて、1回でアップするには長すぎる、と社員に言われる始末。弊社のHPの場合、HPを通してお仕事の依頼が入ることはほとんどない。正直言って ない。そういう意味では効果ゼロ。しかし、求人をした場合、しっかりHPを読んできてくれる人が多い。
「御社の雰囲気と理念に共感しました」
「理想を実現している人がいることに感動しました」
とまで言ってくれる人も多い。
いやはや、気恥ずかしい。
ただ、いい人材が集まってきてくれることに、このHPが一役買っていることは間違いないと思う。立派な社是も社風もないけれど、なんとなく「こんな感じ」
で行こうねという空気を共有しているとは思う。
だからこそ、ちゃんと書くべきなんだよ。社長!渇!!・・・・改心。
]]>なので、私自身も自然に愚痴っぽくは育たず、むしろ、愚痴や文句を言うと言った先からその言葉が自分の身体に染込んでしまいそうで、口にすることが はばかれたし、明るい顔をしていれば悪いことはそう起こらないのではないかと、思うようになっていた。
父や母の教えは知らず知らずに、自分自身に大きな影響を与えていたのだなと、最近つくづく思っていた。しかし、先日不覚にも、大きな深いため息をつ いてしまった。
「ママ、大丈夫?インプレオ大変?」
そのため息の様を見ていてた、中二の息子が聞いてきた。
彼はこのごろ母親がなにやら細々とやっている会社経営に興味津々になってきて、時折、「インプレオ」という文字をネットで検索したりしているらしい。
「う。ううん。ちょっと疲れただけ」と答えると、
「ママからインプレオをとったら、ただのボケボケおばさんだよ。がんばんな」
と力強く励まされてしまった。確かに、インプレオがなかったら、私はいまだ夢見るボケボケおばさんだったかもしれない。
「そ、そだね。がんばる」
小さなジェントルマンの母親に対する認識は矯正したい気もするが、おお、ここに心強い味方がいたじゃないかと、少し心が軽くなった出来事だった。
]]>今年2009年1月?3月は、相田みつを美術館や京橋の繭山龍泉堂の2箇所での個展が相次いだ。2003年に弊社が六田さんのサポートを始めた翌 年、当時表参道にあったオフィスでWEBギャラリーオープン記念個展を開催したとき、相田さんが日本橋三越での個展開催の話を持ってきてくださった。同様 にそのときに、京橋の繭山龍泉堂さんからも「雲岡」の個展開催のオファーをいただいた。よって、2005年2月?3月繭山龍泉堂、5月日本橋三越というよ うに立て続けに個展を開催することができたのだ。
あれから、約4年が経過した。4年前の繭山さんでの個展でも展示即売会をさせていただいた。
今回も同様に2月?3月の時期に個展&展示即売会を主催してくださった。そして、大いに売れた!繭山さんのお得意様たち、確かな眼を持つ方々が喜んで購入
してくださった。相田みつを美術館では、展示即売はしなかったものの、その場所柄多くの方にご覧いただくことができた。
新たなファン層をつかんだことは間違いないと思う。
相田みつを氏の長男である、館長の相田一人氏と六田さんは早稲田大学の同級生で、たまたま下宿先が同じだった。そして、六田さんは、相田さんの部屋 でたまたま見かけた、土門拳の写真に触発されて写真を撮るようになったのだという。
縁は奇なもの。
相田さんと六田さんの関係は、近くで見ていてもちょっと不思議感にあふれている。青春時代の多くの時間と場面と、そしていろんな感情を共有してきた んだろうな、とは思う。
六田さんは何気に、「Going my way」の人だ。
不必要に他人の人生に関与しようという意思はあまり見られない。
いい写真をとることだけ、いいものをみることだけ、いい場所をみつけるだけ・・・、
そこだけを見つめている人だと思う。
そうすると、いろんな人が六田さんに手を差し伸べてくださる。相田さんはその最たる人なんだろうと思う。
要所要所でどれだけ重要な役割を果たしてくださったことか。それでも、傍で見ていると六田さんのほうがちょっと偉そうなのが、まあ六田さんらしくていいん
だろうなと思う。
2004年のオープンから既に4年の月日が流れていたことをHPで再確認する。これまでの展覧会の実績も当然ながら4年分。オーナーの中村さんの目で、 しっかりと丁寧に選びぬかれた作品が並んだことがよくわかるアーカイブだと思った。
オーナーの中村さんの本業はエディトリアル系のデザイナー。普段は奥様が控えめにギャラリーを守っている。さりげなくお茶などを出してくれる。ギャ
ラリーの壁は中村さんと娘さんが一緒に塗った、とおっしゃっていた。
4年の月日が経ち、真っ白でも真っ平でもない、味のある壁に落ち着いたような気がした。
小さな空間だけれど、とても静かでいい空気が流れている空間。
中村さんが趣味で集めている骨董や、ご自分で撮影された写真なども時々登場する。私たちがサイト運営させてもらっている写真家六田さんの作品も時々 登場する。趣味人たちが集う空間を、控えめな様子で奥様が守っている。こういうギャラリーというのは、いいな、と思った。
私たちのインプレオ・ギャラリーは残念ながら頓挫してしまった。
気に入ってくれた作家さんたちもいただけに残念だった。表参道という立地条件のいいオフィスの空間活用という発想からスタートしたこともあり、ギャラ
リー・コンセプトが明確ではなかった。何より、好きな作家さんや作品を集めるための情熱も手間も足りなかったのだろう。
福果さんのようなギャラリーを見ると改めて思う。やはり愛情が必要なのだ、と。丁寧に大切に育てる、という姿勢が大事なのだ、と。私の中に、またそ ういう余裕ができたら、また何かやってみたいな、と思ってしまった福果ギャラリー訪問でした・・・。(懲りないわたし・・・)
]]>かねてより、"何か日本の文化的芸術的なもの"を海外へ発信するために役立ちたい、という思いがあったことから、少ない予算と短い納期で厳しい状況
ではあったけれど、お引き受けすることにした。
しかし、本音を言うと、その番組の映像を見たときに、そこに映る彼女自身の聡明な美しいたたずまいと、知的な声に魅了されたから、損得抜きにお役に立ちた
い、と思った、のかもしれない。
後日、彼女の委嘱新作の初演コンサートに招かれた。
会社帰り、M社員とふたり横浜みなとみらい小ホールに駆けつける。久しぶりに、"精神の芸術的高揚"を胸に抱き、帰路についた平日の夜だった。
(というか、"精神の芸術的高揚"状態のまま、M社員に「今年の忘年会は"クール・インプレオ(Choeur
Impleo)をやりたい!」と宣言したら、どうも呆れられたようだった・・・「また、影響されてしまいましたか
・・・トホホ・・・せめてハンドベルにしておきましょう・・・」と)
映像の翻訳から字幕作成、吹き替え、編集まで行う英語版制作の業務とWEB制作が最近では、弊社業務の柱になりつつある。どちらのノウハウも、日本
の文化的芸術的コンテンツの海外発信には非常に役立つものである。
その辺のあたりに、自分たちの社会的ミッションを感じつつ、仕事を展開していければなあと思う。
東京藝大を首席で卒業後、同大学院を終了。
98年芥川賞作曲賞ノミネート、99年村松賞受賞。第一回サントリー音楽賞の佐治敬三賞受賞。2007年第14回日本現代芸術奨励賞受賞。英国王立音楽院
の博士課程PhD作曲家・リサーチフェローとして招聘され、文化庁・芸術家在外派遣研修員として主にロンドンを拠点とし現在に至る。
2008年6月18日(水)
横浜みなとみらい小ホールにて
委嘱新作初演ほか
女声合唱のための「遠い世界に」
(詩 児島百代 作曲 武智由香)
過去から現在、現在から未来の時間軸の中で反省と展望とを中心にした質問項目に皆真摯にかつ丁寧に向き合い、答えてくれた。
彼女たちの自己評価が私が考えていた評価と、それほど違わなかったのはとても幸福なことだと思う。
彼女たちにとっても、自分と自分の仕事を見つめなおすいい機会になったので。
その後、3日間にわたって、個人面談。
1対1で真剣に向き合うのは、どんな場合でもお互いに緊張しあうもの。
だからこそ、たまには1対1の真剣な対面が必要なのかもしれないし、声に出して言わなければわからないことも沢山あるのではないか、とも改めて思った1週
間でした。
過ぎ去った少女時代の記憶の中には、数十ページだけ丁寧に書かれ、大部分が白紙状態のきれいな表紙の日記帳が何冊もある・・・。 変わってないなあ。
同じ形では決して復活できないのだ。
だから、少しだけ進化して、また、新しい日記帳の表紙をめくろう。
ふふふ、乞うご期待。
そもそも、私が少しの間、サボっている間にスタッフブログのほうは、何だか楽しげに展開しているではないか!しかも、おやつネタとお花ネタの充実ぶ り。むむ、これでは日々花を愛で、高級スイーツを食し、"趣味の園芸"などに興ずるノーテンキな乙女集団にしか見えないではないか!!!
まあ、まるっきり嘘でもないので、全面否定はしませんが、仕事もしっかりしています!
この点はどうぞみなさま誤解なきよう・・・。
NTSさん、ヨコシネさん、三友さんと、スタッフは周辺のスタジオを行ったりきたりすることが多くなった。これが、富ヶ谷移転前だったらどうしてた んだろう、と思う。赤坂からだったら、通うだけでもタイヘン。
移転したら、スタジオ業務が増えたのか、スタジオ業務が増えたから、移転したのか・・・。
いづれにしても、ギリギリのタイミングでの移転だった。
いつもギリギリセーフのタイミングなんですね?。
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